
先日、いわゆる定住とは少し違うフレキシブルな暮らし方をしているお客さまとの出会いがあった。
施術中にいろいろと話をしている中で、アピセラピーって知ってますか?と訊かれた。
正直知らなかったので、それなんですか?と教えてもらうと「蜂の針を鍼灸の鍼のように使う療法」だそうだった。
もちろん扱いには十分な注意が必要だし、誰にでも勧められるようなものではないのだろうけれど、「毒を持って薬と為す」という考え方はとても興味深く感じた。
確かに毒と薬は完全に別のものとして存在しているわけではなく、量や使い方、身体の状態によって、その境界が変わる。ある人にとっては毒になり、別の人にとっては薬になることもある表裏一体なもの。
アピセラピーについて調べながら、そういえばふだん整体をしていても似たようなことを考えてたりするなと思った。
たとえば「痛み」や「刺激」。
整体というと、バキバキと関節を調整したり、強く押したり揉んだりという刺激や痛みの強いものとイメージされることも多い。
その一方で、全く痛みを与えないような施術だったり、触れているだけに近いような、とても静かな施術をされているところもある。
うちの整体はというと、そのどちらでもない。中間かというとそれも違う気がする。
バキバキしたり、ゴリゴリ揉んだりはしないけれど、ただただやさしいだけではなく、身体の状態によってはある程度の痛みを伴うことがある。
基本的には痛気持ちいいと感じるくらいだけれど。
お客さまによっては、思ってもみないところが痛かったりして「そんなところがよくなかったの?」となったり。
少し刺激を感じることで、「ここに負担がかかっていたんだな」とご本人が認識しやすくなるし、身体や、もっと言えば脳が状態を認識しやすくなる。
もちろん強ければいいというものでもないし、ただ痛みを与えるだけでは意味がない。あくまで、その人の状態を見ながら、必要なところに必要な分だけ。
強すぎればただの負担になるし、弱すぎれば必要なところに必要な刺激が届かない。
その間のちょうどいいところを探っていく。
もうひとつが「歪み」について。身体の歪みというと、どうしても悪いもののように扱われがちだけれど、本来、身体は完全に左右対称でもまっすぐでもない。
生活や仕事、日常の癖や感情や環境の中で、その人なりにバランスを取りながら形をつくってきた、いわば”適応の結果”が今の身体でもある。
歪みがあること自体が問題というより、その状態に固定されて動けなくなってしまうのが問題なのかなと。
関節というと物としてあるように思ってしまうけれど、物体としてそこに存在しているわけではなく、実際は骨と骨のあいだにある“隙間”でしかないと思っている。
関節は、ひとつの骨ではなく、骨と骨との関係性によって成り立っている。
だからこそ、その関係性が変われば、動きも変わるし、感覚も変わる。触れているのは骨や筋肉や靭帯や膜ではあるけれど、本当に変えているのはそれらそのものというより、その間にある関係なんだと思う。
なんだか上手くまとまらない文章になったけれど、ちょっと刺激になることを聞かせてもらうだけでもいろいろと身体について考えるきっかけになって面白い。
